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『晩秋』参考資料ご紹介

ゲボ独最終回から、これで一週間。いかがお過ごしでしょうか。

今回は、最終回作品『晩秋』のことを書きたいと思います。

 

ゲボ独の6回を通して、孤独部(というかぼく)がテーマにしてきたのは、「素直になること」でした。最後のアフタートークでも話したりしましたが、毎月新作をつくるというのは、思いついてからの鮮度が高い状態で舞台にまで持っていけるので、とにかくその時々の素直な気分や感情、思いを描こうと決めていました。それは、第1回作品『初夏』が、タイトル通り6月末という初夏の時期に上演することを意識したときから、ずっとでした。

 

最終回作品は、その意味でも初心に帰って、11月末というまさに「晩秋」といった季節の感じ、自分の気分を描こうというところからスタートしました。

 

今回の『晩秋』は、様々な演劇以外の作品を参考資料として、つくりました。

あらためて、ここで紹介したいと思います。

カタオカユウタBAND

「何でもない毎日が幸せでした」「名駅」「ラフ・ソング」

→孤独部とも関わりの深い、カタオカユウタさんのバンド。全国リリースされたミニアルバム「名駅」の中の三曲。『晩秋』のオープニングとエンディングの劇中曲はこちらでした。ユウタさんのうたに感化された作品は、実はこれまでにも多いです。その中でも今回は、色濃く影響を受けてます。いつも、ぼくの一歩先の気持ちを描いかれているような気がしています。

http://www.kataokayuta.com/

ハンバートハンバート「おなじ話」

→こちらは、ミソゲキの初開催・孤独部初出場のときにエンディングで使用した曲。今回の作品の物語のベースは、このうたです。当初意図していたわけじゃないのだけど、改めて聴いてみたら、これじゃん!と気づき、びっくりしました。男女のかけあいのボーカルとその世界観が美しい曲です。

 

 

 

 


映画「ソラニン」

→ぼくの大好きな映画。浅尾いにおの漫画が原作。同棲生活をする若者男女のおはなしで、『晩秋』の空気感のイメージの一部はここから着想を得ました。特に、ラストの家具を片付けた後のがらんどうの舞台のイメージは、この映画ラストの部屋のカットの印象をイメージしました。

レヴィナス「存在することから存在するものへ」

→哲学者。どのような哲学なのかは知らなかったのですが、以前から興味があったために偶然このタイミングでてにとってみたところ、まさに今回の作品にぴったりのものでした。せっかくなので、そのうちの一文をご紹介。

 

「睡眠への召喚は、横たわるという行為のうちに現生する。横たわるとはまさしく、存在することを場所に、位置に区画づけることである」 (熊野純彦『レヴィナス入門』 p72)

 

今回、「不在の在」を主題にしようとおもっていた矢先、この文章に出会いました。これをきっかけに、横たわる・眠るというのを重要なモチーフとしました。ちなみに、出演してくれた吉村桜子も、先月の孤独部ワンマンでの出展タイトルが「ねむる」。意図していたわけではないのですが、点々が線で繋がってできた作品でした。

 


小津安二郎「秋日和」

→今回『晩秋』をつくるにあたって、まず真っ先にみた映画。昭和初期の日本映画です。この小津安二郎という監督、内容は本当によくある家族の何気ない日常なのですが、作品の空気感がとても素敵です。今回参考に挙げた「秋日和」は、母娘二人暮しの家庭の、娘が嫁ぐおはなし。時代背景もあいまって、当時なりの恋愛結婚というものが見えてきます。『晩秋』としては、会話の演出的なところで参考にさせてもらっています。

孤独部「壁」「生活」

→孤独部が約5年前から(もう名乗りだしてから5年を迎えようとしてることにびっくり)上演していた、初期孤独部の代表作「壁」。今回は何を隠そう、この作品を再演しようかというところからスタートしました。結局再演ではなく、あのころ(=結成当初)にやりたいと思っていた形の作品に挑戦することで、今回の『晩秋』はできました。

 

また、昨年末のミソゲキ2011での上演作品『生活』の舞台美術を、今回はほぼそのまま使用しました。『生活』は、一人暮らしのワンルームを舞台にした作品で、孤独部にとっては活動復帰第一作となる作品。ちなみに、そのときの使用楽曲は、先ほど挙げたカタオカユウタBANDのミニアルバム「名駅」に収録されている、「命は此処だ」という曲の弾き語りver.でした。

 


まど・みちお「りんご」

→レヴィナスの話を、出演の吉村桜子に話したところ、教えてくれた詩。

「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」など、有名な童謡にもなっている詩をかかれている方。

今回の劇中にも登場するりんごのひとつの意味は、この詩です。

 

先にも書きましたが、今作の主題は当初、「不在の在」でした。が、それ以上に、「存在」そのものを扱うことができたかと、思っています。誰かが、いるということの、ありがたさ。それを描くことに挑むことができたように感じています。

 

 

今回は6ヶ月連続公演の最終回。そして孤独部にとっては、結成当時からずっと描きたいと思っていたことに挑戦した、ある意味での集大成というか、最後のつもりで挑んだ作品でした。その作品で描きたかったことは、ありがたさ、「ありがとう」ということだったと、思います。

少しでも、感じていただけたなら、幸いです。ありがとう。

リンゴを ひとつ
ここに おくと

リンゴの
この 大きさは
この リンゴだけで
いっぱいだ

リンゴが ひとつ
ここに ある
ほかには
なんにもない

ああ ここで
あることと
ないこととが
まぶしいように
ぴったりだ

 

(まど・みちお「りんご」)